今日は「ブラック労働経験の過度な肯定は危険」というテーマの記事です。
私には過去にブラック労働的な過酷な職場体験がありました。
低収入な上に、90日間ほどの連続勤務と疲労で、自殺の仕方を勉強したり、運転中なぜか突然アクセルを全開にしてみたり
、運転中に突然バックギアにいれてみたりと、めちゃモノに当たり散らしていましたねw
やり過ぎると、仕事を恨み、お客さんを恨み、人生を恨むようになったりしちゃいます。
そして最近思ったのが、
そうした経験が、今の自分を鍛え上げたと考え、「若い世代には負ける気がしない」と思っていました。
しかし、
そのような価値観自体が本当に正しいのか疑問に思ったんですね。
男性には「仕事ができればいい!」みたいな考えがあったりします。
が、
これらは、人生のバランスが取れていない人と見られ、けっこうダサく思われてたりします。
たとえば、家族を犠牲にしてまで仕事のみに人生を捧げるのは、現代の働き方として適していません。
わたしが会社で今の地位についたのは…などと、あのブラック労働の経験で鍛え上げられたからだと考えがちですが、それ自体がかえって危険な発想です。
自分が苦労して手に入れたモノって、正しくて価値が高いと思いがちだったりします。
この「苦労して手に入れた思考」は危険なんですよね。
もちろん仕事に対して精一杯取り組むことは大切です。
過剰に精神的に追い詰められ、おかしくなりそうなほど働くのは明らかに問題があります。
健全な労働観を確立するためには、むしろブラック労働への過度の肯定は避けるべきです。
まとめると
成功者バイアスは年代別で思想の差を生んだりするので、調子にのらない方がいいよね。
という記事でした。
おわり